圓光寺の歴史
400年以上の歴史を持つ圓光寺は、1601年徳川家康の命により、学校の機能を兼ね備えた臨済宗南禅寺派の寺として伏見城下に出来ました。開山者は当時下野国足利学校のトップであった禅師閑室元佶で、開校の暁には僧に限らず多くの若者が入学したといいます。そのような歴史もあってか、圓光寺にある重要文化財として日本最古の木製活字が保存されています。その後、足利将軍ゆかりの相国寺山内に場所を移した後、1667年には現住所の一乗寺小谷町に移っています。
圓光寺の十牛之庭
「十牛之庭」は、「十牛図」を題材とした圓光寺を代表する枯山水形式の庭園です。「十牛図」とは、禅の悟りに至るまでの十の過程を童子と牛で表した図のことで、庭園には牛に見立てた十の石が配されています。また「十牛之庭」は、京都洛北最古とされる池(栖龍池)や水琴窟があることでも有名です。さらに紅葉の名所としても名高く、色づいた木々はもちろん、栖龍池に映る紅葉や水面に舞い散った紅葉も見どころのひとつになっています。
圓光寺の奔龍庭
山門をくぐるとこのお庭が広がっています。平成に入ってから作られた枯山水の庭園で、とてもモダンな印象を受けます。お庭自体は動くことのないはずのものなのですが、雲海の中から一瞬龍のお顔が覗いた瞬間に立ち会い、龍そのものは動いているような感覚にさせてくれるお庭です。様々な角度からお庭を眺めるとより一層そう思わせます。実は、このお庭を作られた方はわざとお庭を未完のままで留め、見た方の心の中に完成品が現れることを願われたのだそうです。折々にこのお庭を眺めに伺えば、その時々の完成品を愛でることができるはずです。
圓光寺の応挙竹林
圓光寺には応挙竹林と呼ばれる竹林があります。円山応挙という江戸時代の絵師が、この竹やぶを題材に1776年「雨竹風竹図屏」という作品を描きました。応挙の最高傑作の一つと言われています。雨が描かれていないのに雨で竹が霞む様子や、風に静かに身を委ねる竹の様子を見事に墨の濃淡のみで演出しており、その情緒的な表現は素晴らしいの一言です。この竹林は名所として名高く、応挙をも虜にした凛とした竹の風情を感じられます。応挙はこの竹林に禅門の本質をみたのでしょうか。
圓光寺の富岡鉄斎の作品
圓光寺の本堂には、南宋画の大家である富岡鉄斎の観楓山水図・脩竹清風図があります。秋の圓光寺を訪れた鉄斎が襖絵を残していったものと伝えられています。4枚の襖一杯に使った大変雄大な作風ながら、南宋画独特の米鮎を用いた緻密な技で描かれた水墨画です。圓光寺は単なる寺院ではなく、現代でいう学校のような役割を担うものとして設立されました。鉄斎も当時の文化人の一人として学び舎に集う者であったことをうかがわせます。
圓光寺の紅葉
秋の季節になると、京都の中でもとくに注目を集めるお寺があります。それが瑞巌山圓光寺で、京都市左京区にある徳川家康公の開基による歴史あるお寺です。圓光寺へ行けば、すべてが計画的に植え付けられて赤や黄色に彩られたあまりに美しすぎる日本庭園「十牛の庭」の紅葉を、目の前に見ることができます。畳の敷き詰められた和の空間から見える十牛の庭の紅葉もまた、人々に感動をもたらす景色です。圓光寺は、秋の代名詞にもなりうる威厳に満ちたお寺なのです。
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