北条政子が眠る墓 寿福寺

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源頼朝の妻である北条政子のお墓

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寿福寺(じゅふくじ)は鎌倉五山の第三位のお寺です。北条政子が源頼朝の為に建立した寺院で苔と美しい森林に囲まれています。

【鎌倉五山とは】

鎌倉時代に中国の五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のことをいいます。寺を格付けして管理することが目的でした。現在鎌倉と京都にそれぞれ五山があり、鎌倉は上から建長寺(けんちょうじ)、円覚寺(えんがくじ)、寿福寺(じゅふくじ)、浄智寺(じょうちじ)、浄妙寺(じょうみょうじ)となっています。

普段、境内は非公開となっていて中門までしか見ることができません。正月休みやゴールデンウイークの特別拝観日のみ入ることができる仏殿内には、貴重な釈迦如来坐像などが祀られており、鎌倉巡礼で訪れる人も多いそうです。1966年に史跡として国の文化財に登録もされています。

境内奥の広大な墓地には、北条政子とその息子、源実朝の五輪塔、俳人の高浜虚子や作家の大佛次郎の墓があることでも知られています。

息子とともに眠る北条政子の墓

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境内の奥の墓地には北条政子の墓があります。隣には政子の息子、実朝の墓の五輪塔があります。源実朝は北条政子と源頼朝の4男で、鎌倉幕府の第3代征夷大将軍です。「やぐら」という横穴墳墓の中にて息子の実朝と共に静かに眠っているのです。

北条政子の墓と伝わるのは、こちらの寿福寺と安養院があります。

 

【北条政子とは】

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鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻であり、最後には政治の舞台へも立った女性です。

北条政子は1157年、北条時政の長女として伊豆の北条で生まれました。伊豆の蛭ヶ小島に流された頼朝の監視役として平清盛から言い渡されていたのが北条時政だといわれています。

その後源頼朝と北条政子は恋に落ちます。しかし敵同士の恋に父時政は猛反対します。2人の仲を引き裂こうと別の男と結婚をするように進めますが、いよいよ婚礼という夜、豪雨の中頼朝と駆け落ちしたのでした。

その後頼朝は平氏を破り、鎌倉幕府を開きます。頼朝が亡くなった後は政子本人が政治の舞台に立ち、活躍しました。


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基本情報

北条政子が眠る墓 寿福寺
  • 鎌倉市扇ガ谷1-17-7
  • 中門まで拝観可能
  • 0467-22-6607

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