枯山水と紅葉の絶妙なバランスに釘付け 曼殊院
曼殊院の歴史
曼殊院は728年に最澄によって建立されたのが始まりです。その後、東尾坊と名前を変え、場所を移動することになりました。曼殊院と改められたのは1108年くらいのことで、北山に作られたものをそう呼んでいました。現在の場所に移動したのは1656年であり、現在の場所に入った良尚親王が曼殊院を継承し、新たなる堂宇を建てたことによって生み出されました。かなり歴史のある曼殊院は、何度か移動を繰り貸しながら、現在の地に存在を残しています。
曼殊院の枯山水庭園
大書院の庭となる枯山水庭園は、深山と水を表した小堀遠州の作とされます。庭は石と白砂と緑の織りなす仏教的な枯山水の世界で、青色をした立石が滝を、白砂は流れる水を表しているといいます。大書院の西側の白砂の中には、樹齢400年といわれる五葉松とその根本にキリシタン灯籠を配した鶴島と、小書院の前に亀島が配されています。普段は白砂と緑の樹木の世界ですが、5月の頃にはキリシマツツジが彩りを添え、秋になると白砂と鶴島亀島の向こうには赤く色づいた木々により1年で最も艶やかな世界となります。
曼殊院の大書院
曼殊院にある大書院は、小書院と並んで重要文化財としての認定を受けた建造物です。大書院は現在の本堂です。本尊としてまつられているのは阿弥陀如来で、訪れた観光客をしっかりと出迎えています。曼殊院の大書院の内部には元三慈慧大師が座していますが、おみくじの元祖として知られています。瓢箪、扇子の杉戸引手、月型卍崩しの欄間など、さまざまな意匠が凝らされたつくりで、他にも桂離宮と同じ桂棚や菊、短冊の釘隠しなどがあります。
曼殊院の小書院
曼殊院には、小書院という重要文化財建造物があります。小書院は江戸時代に建築されたもので、長い歴史を持っているのが特徴です。庭園の正面、大書院の北東方向に連なっている数奇屋風の建物で、見る人を魅了しています。曼殊院の小書院は、廊下の部分と室内の部分との屋根が重なっていて、二重屋根の構造をとっているのが目を引きます。ところどころに意匠が凝らされていることが分かるので、訪れた人を飽きさせることがありません。
曼殊院に残る曼殊院本古今和歌集
曼殊院本古今和歌集は曼殊院に伝わる国宝にも指定されている古今和歌集の写本です。全20巻の古今和歌集のうち第17巻の一部が現存しています。写本のしたのは有名な歌人の藤原行成とも藤原公任とも推定され、11世紀の成立と考えられています。流布本では語句の違いや掲載されている和歌も一部違っており、別のルートの系統と考えられています。曼殊院の所蔵ではありますが、現在は京都国立博物館に寄託されています。
曼殊院の紅葉
曼殊院は、枯山水庭園・勅使門・弁天池周辺の紅葉が見事です。枯山水の庭は、深山と水がキリシマツツジの緑と白砂で表現されていて、その2色と紅葉の赤や黄色とのコントラストが素晴らしく見応えがあります。勅使門の晩秋の紅葉も、葉が赤く染まった木々が門と調和していてきれいな背景となっています。弁天池の周辺も緑の木々と赤や黄色に染まった紅葉のバランスが見事で、池に落ちた葉がもみじ柄の川のようで風情があり、見る人々を魅了します。
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