泉が湧き出てもうすぐ800年 泉涌寺
泉涌寺の名前の由来
名前を見るとわかりやすいのですが、泉が涌いたことから泉涌寺という呼び名がつけられました。堂宇を建立している時、仏像の近くからこのような泉が涌き出たため、こうした現象から呼び名がつけられたのです。1218年に建立を始めていたのですが、その時に起こったことが最終的に泉涌寺という名前に結び付くことになりました。現在でもこの泉は存在し、水屋形の中にあります。その周りには多くの木々が存在し、紅葉スポットとして親しまれています。
泉涌寺の歴史
泉涌寺は、平安時代に弘法大師空海が草庵を結んだことがもともとの由来とされていますが、別の由来の伝承もあり、創建についてのはっきりした時期や事情についてはわかっていません。その後、鎌倉時代の1218年に実質的な開祖ともいえる月輪大師が宇都宮信房からこの地の寄進を受けて伽藍を造営し、1226年に実質的に完成しました。その時に、寺の一角から泉がわき出たことから泉涌寺となりました。その後何回も火災で焼失し、現在の建物は近世以来の再建となっています。
泉涌寺の見所
泉涌寺は、平安時代に弘法大師空海が草庵を結んだことがもともとの由来とされていますが、別の由来の伝承もあり、創建についてのはっきりした時期や事情についてはわかっていません。その後、鎌倉時代の1218年に実質的な開祖ともいえる月輪大師が宇都宮信房からこの地の寄進を受けて伽藍を造営し、1226年に実質的に完成しました。その時に、寺の一角から泉がわき出たことから泉涌寺となりました。その後何回も火災で焼失し、現在の建物は近世以来の再建となっています。
泉涌寺の楊貴妃観音堂
泉涌寺の近くに建つ楊貴妃観音堂は、絶世の美女とうたわれた楊貴妃の坐像を祀っている観音堂です。玄宗皇帝が亡くなった楊貴妃を偲んで掘らせたといわれる楊貴妃の等身坐像は、神秘的な美しさを含みつつ寛容さも感じさせて拝観する人々の心をつかみます。その歴史は古く、建長7年に泉涌寺に請来された文化的にも価値が高い像となっております。美しいと評判の楊貴妃像にあやかって美のパワースポットとしても若い女性の間で人気となっています。
泉涌寺の御座所庭園
1882年、歴代天皇の御尊牌をお祀りする霊明殿が焼失した時、明治天皇は霊明殿再建と共に京都御所内にあった皇后のお里御殿を泉涌寺内にお移しになり、御座所とされました。その御座所の前に築かれたのが「御座所庭園」です。小さい庭園ですが、自然と人工のものを巧みに織り交ぜ、四季折々の姿を楽しませてくれます。築山は低く、その裾に曲折する池の汀が美しい形を形成しています。数は少ないながら、春はさつきが咲き、秋には真っ赤に紅葉が色づき、冬は雪見灯籠に雪が積もるなど季節を充分に感じさせる造りとなっています。この庭園を愛でられた昭和天皇は「春ふけて 雨のそぼふるいけ水に かじかなくなり ここ泉涌寺」の御製を詠まれています。
泉涌寺の重要文化財
京都の泉涌寺(せんにゅうじ)は、国宝と重要文化財を数多く有しています。国宝の泉涌寺勧縁疏附法状(かんえんそつけたりほうじょう)は、鎌倉時代に荒廃してしまった泉涌寺を再興するために、僧侶の俊芿(しゅんじょう)が人々に寄付を募った時の趣意書です。国の重要文化財である仏殿は入母屋造り唐様建築で、1668年に徳川家綱により再興されたものです。泉涌寺にはこのほか、大門、開山堂などの建築物、木造千手観音坐像、木造韋駄天立像など魅力的な重要文化財が数多く残されています。
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住所:京都府京都市下京区烏丸通七条下ル東塩小路町721-1京都タワービル3F
基本情報
- 京都市 東山区泉涌寺山内町27
- 9:00~16:30
- 075-561-1551
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市バスC4のりばから南5系統「稲荷大社・竹田駅東口ゆき」で「東福寺道」下車。下車後、徒歩16分。
JR奈良線「奈良ゆき」で「東福寺」下車。下車後、徒歩16分。
アクセスマップ
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