秀吉に対する対抗意識からできた お東さん こと 東本願寺
東本願寺という名称(呼称)について
京都駅前烏丸通り七条で御影堂の立派な甍を輝かせる東本願寺。正式名称は『真宗本廟』。『真宗本廟』は、宗祖・親鸞聖人の真影を安置する御影堂及び阿弥陀堂を中心とする聖域、教法宣布の根本道場となっています。浄土真宗大谷派の本山であり、現在の門主は大谷暢顯。通常、御影堂は親鸞上人の真影を、阿弥陀堂は本尊の阿弥陀如来像を安置していますが、ただ今は阿弥陀堂が改修中の為、本尊も御影堂内の仮阿弥陀堂に安置されています。同じく七条の堀川に位置する『西本願寺』に対し、東に位置することから『東本願寺』という名称も併用しています。地元では、『お東さん』の愛称で知られています。
東本願寺建立の歴史
東本願寺とは、12代の教如によって本願寺が東西に分けられたことでできました。元々本願寺は豊臣秀吉に保護され、秀吉は教如よりも弟の准如を寵愛しました。これによって教如は本願寺をおわれ、家康に接近します。秀吉没後、徳川家康が12代教如と懇意であったため、教如をたてて東本願寺を建立しました。これは秀吉のゆかりある西本願寺への対抗意識からのものでもあります。なお、東本願寺は江戸時代に4度火災にあっており、「火出し本願寺」と揶揄されたこともあったようですが、東本願寺が火元となったのは1度だけです。
境内の建物について
御影堂門より境内に足を踏み入れると、正面に御影堂、その左に阿弥陀堂を見ることができます。境内には両堂以外にも数々の歴史的建築物が点在しております。たとえば、鐘楼は創建当時の姿をそのまま残す総けやき作り。桜下亭は現如上人の隠居所の一部が移築されたもので、端正な茶室が設えられているといった具合です。その他にも能舞台、白書院、黒書院、大寝殿など、そのひとつひとつが京都の近代建築を代表する、たいへん貴重な建物なのです。通常は非公開になっている建物が多いというのもうなずけます。
国宝と重要文化財
東本願寺所蔵の国宝は昭和27年に指定された、鎌倉時代初期に書かれた顕浄土真実教行証文類です。元は東京にあったものですが、関東大震災に焼けずに残った事から東本願寺に収められ、今では現存する唯一の親鸞真蹟の教行信証です。重要文化財はどれも鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて作られたもので、晩年の親鸞を描いた絹本著色親鸞聖人像、親鸞の生涯を書いた本願寺聖人伝絵、本願寺聖人親鸞伝絵、それから親鸞筆の一念多念文意の4作品です。
風物詩のお煤払い
西本願寺、東本願寺では毎年12月20日に煤払いが行われます。室町時代から500年受け継がれる師走の伝統行事であり、数百人の門信徒や僧侶達が一斉に堂内の畳を煤竹で叩き、舞い上がった埃を大団扇であおぎ外へと出します。あおぎだした後は堂内外を綺麗に雑巾で拭き、外していた障子を戻し、御規式が始まります。御規式では、新たに御堂の荘厳を整えてお給仕を始めるために、門首が『寿』という字を白い布に竹で書きます。新年を迎えるための恒例の行事として、早朝から沢山の報道陣や見物人が集まります。
2008年の大規模改修
木造建築としてその建築面積が世界最大である東本願寺の御影堂で、平成に入って修復工事が行われました。「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌」の特別記念事業です。非解体修理であったものの、瓦の葺き替えを始め、耐震補強や鉄骨による構造補強等、多くの工事が行われる大規模な修復となりました。2004年3月から総工費約98億円をかけて進められたこの大改修は、2008年12月にほぼすべての工事を終え、2009年8月に竣工式を迎えました。2012年からは同事業の一環である阿弥陀堂の修復工事が始まっています。
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