三光神社 真田伝説の残る神社

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三光神社の歴史

大阪市天王寺区真田山の三光神社は、仁徳天皇の3代後の反正天皇の時代という神代に創建されたと伝えられます。武内宿弥の末裔が宮司を務め、現在で86代目になるそうです。江戸時代初期に一時、現在地の南東に移設されましたが、すぐに今の場所に戻ったと伝えられています。当時は姫山神社と呼ばれていましたが、これは一帯が姫の松原といわれていたことに由来します。三光神社と呼ばれるようになったのは、境内社の三光宮を合祀した1908(明治41)年になってから。中風除けの神様として地元民の信仰を集める一方、真田幸村が大阪城への抜け穴を掘った場所という伝説が生まれ、有名になりました。ただ、この辺りは大坂の陣で幸村が入った真田丸の東端か、外側にあるため、この抜け穴伝説は後世の創作と考えられています。

三光神社の御利益

三光神社は中風封じの神として有名ですので、ご利益は中風除けと言う事になります。ところで、この中風とはいったいなんなのでしょうか?まず読み方は「ちゅうふう」と読みますが、「ちゅうぶう」「ちゅうふ」などと読む地方もあるそうです。現代の医学的には「中風」とは脳血管障害の後遺症、つまりは半身不随、言語障害、手足のしびれやまひ等の事を指す言葉として使われているそうです。ただし、本来の意味は中国に由来し、発熱・発汗・咳・頭痛・肩のこり・悪寒など「風邪(ふうじゃ)」が体に侵入して起こりえる症状とされています。つまり風邪(かぜ)の事のようです。そう言う理由から、三光神社のご利益は健康祈願や病気治癒だと言われています。また、真田幸村ゆかりの神社であり、最近では「勝守」と称したお守りを授与していただける為、勝負のご利益もあるとも言われています。

真田の抜け穴

大坂冬の陣の際、真田幸村は防御が手薄だった大阪城の南側に独立した出城・真田丸を築き、徳川勢の攻撃に対抗しようとしました。この真田丸の築かれた場所が、現在の三光神社のあるあたりでした。この三光神社の境内には、真田幸村が築いた真田の抜け穴とよばれる地下道跡が残されています。言い伝えによると、真田の抜け穴は大阪城までつながっていたそうです。同じような抜け穴が大阪市内には何カ所か存在し、真田幸村はこの抜け穴を自由自在に駆け回り、徳川勢を翻弄したと伝えられています。真田の抜け穴は普段は鍵がかけられ中に入ることはできませんが、年に1度、11月の第1日曜日(真田祭りの行われる日)に限り内部まで公開されます。真田の抜け穴については正確な記録が残っていないため、信ぴょう性を疑問視する見方もあります。

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基本情報

三光神社 真田伝説の残る神社
  • 大阪市天王寺区玉造本町14-90
  • 9:30-16:00
  • 06-6761-0372

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