落語を聞くなら演芸ホールへ!
始まりは東京オリンピックの年
1951年に3階建てのビルで「浅草フランス座」というストリップ劇場が開設され、ここでは比較的おとなしいストリップ・ショウとコメディの芝居がセットで演じられていましたが、1959年に芝居の方を専門にした「東洋劇場」を同ビルで開業しました。「フランス座」は増築した4,5階に移動しましたが、1964年、東京オリンピックの年には閉館し、その跡に今と同じく寄席である「浅草演芸ホール」をオープンしました。志ん生・文楽・圓生などの名人に談志・志ん朝といった若手が競い合う落語が人気を博し「浅草演芸ホール」は1階に移りました。そのとき「東洋劇場」は閉幕し、4,5階にはストリップ劇場が復活した時期もあり、ビートたけしさんはそこで修行しました。「浅草演芸ホール」は現在も落語を中心にしていますが、漫才、手品他の色物までも幅広く演じられています。
老舗の落語寄席
浅草演芸ホールでは、ひとりで話し方や口調を分け何役もこなす話芸である落語、歴史にちなんだ戦の話を机を前に座ってテンポよく読み聞かせる講談。曲師が引く三味線に合わせてセリフと節で物語を話す浪曲や傘の上で鞠を回すなどする和風の芸である曲芸、最近ではジャグリングも東洋の曲芸として披露されています。言葉のやり取りで笑いを誘う漫才、数人で短い時間を使って小道具などを使って観客を笑わせるコント。音楽にのせながら軽妙な口調で歌い話し観客を笑わせる歌謡漫談やバイオリン漫談、ギターとウクレレのハーフであるギタレレを使って行うギタレレ漫談。1枚の紙を切ってシルエットで似顔絵を作るという紙切りなどが主に浅草演芸ホールで行われています。
寄席ってどういう意味?
寄席とは落語や漫才、手品等の演芸を観客に上演する、演劇場のような場所を指します。語源は、「人を集める」という意味の「寄せる」という単語に由来します。以前は、人を集める場所として「寄せ席」や「寄せ場」と呼ばれていました。しかしそれが略され短くなり、「寄席」と呼ばれるようになったのです。寄席の歴史は、江戸時代初期にまで遡ります。当時は、神社の境内などで人を集める催し物が、不定期に開催されていました。そしてこの寄せ場の開催場所がやがて小屋や、民家、貸席などへと変化してゆきます。しかし上述のいずれも、一時的な催し物としての開催に過ぎませんでした。専門的な寄席は、1798年、江戸の下谷神社に初めて設けられました。その後、寄席と呼ばれるようになり、200年以上の時を経て現代に至るのです。
落語家さんにも階級ごとの役割はあるの?
落語には見習い、前座、二つ目、真打と、4つの階級がありそれぞれ役割があります。見習いは、入門したての落語家の卵で、主に雑用や下働きをします。楽屋に入る事はなく、もちろん人前で落語を披露する事もありません。見習いとしてある程度経験を積むと、前座となり、楽屋入りをします。前座は寄席での呼び込み太鼓や、めくりの出し入れ等が仕事です。そして、開口一番の最初の落語をする事もあります。前座の次は二つ目です。二つ目になると雑用をする必要はなく、紋付羽織を着る事が出来、番組にも名前が載ります。ようやく一人前の落語家としてみなされます。そしていよいよ真打です。寄席の最後に高座に上がる資格を持ち、弟子を取る事も出来ます。「師匠」とも呼ばれますが、ここからがスタートとして新たに修行に励む落語家もいます。落語の4つの階級、このようにそれぞれ独自の役割があります。そして、それぞれの立場でお客さんを楽しませる事に貢献してくれるのです。
基本情報
- 東京都台東区浅草1-43-12
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- 03-3841-6545 / 03-3841-8126
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